女優、MC、モデル、歌手など幅広い分野で活躍し、今は化粧品会社を設立して実業家の顔も持つ鈴木蘭々(47)。1993年にフジテレビ系「ダウンタウンのごっつええ感じ」、安室奈美恵さんとのユニット「シスターラビッツ」として活躍した94年「ポンキッキーズ」など、90年代はテレビで見ない日はなかった。96、97年にはCM女王に輝いた。88年に芸能界入りし、今年は35年目。長い芸能人生を振り返ってもらった。(取材・文=中野由喜)
「もともとは歌手志望で芸能界をめざし、松田聖子ちゃんみたいな歌手になりたいと思っていました。13歳の時に原宿でスカウトされて、小さなモデル事務所からスタートしました。オーディションを受けても、受けても落ちてばかりで成績の振るわなかった私でしたが変わり者の監督に気に入られて(笑)少しずつCMが増えてきたところで芸能事務所へ移籍しまして、そこでは社長と二人三脚のような感じで芸能活動を始めました。社長は営業、時に私は1人で現場へ、当時はまだ高校生だったけれど大人の波にもまれながら歌手になれる日を夢見てチャンスを待っていた感じです」
歌手デビューできたのは95年。少し時間がかかった。
「感覚的にはあっという間。あまり細かいことは考えないタイプの性格だったので、仕事をコツコツこなしていたらだんだんと夢に近づいて行ったって感じかな」
人気絶頂時は超多忙な生活だったはず。つらかったのか楽しかったのか。
「一言で表現するなら悲喜こもごもですかね(笑)。本当にたくさんいろんなことがあったし、若いからいろんなことを感じていたと思うし。でも時の経過とともに記憶が薄れて、嫌なこと、大変だったこと、悲しかったこともあったとは思うんですけど、全て良い感じで消化されてしまって、今となっては全てがありがたい経験だったなぁって。ただ眠かった(笑)。それはよく覚えていて、でも5時間くらいは寝ていたかな。2年間いわゆる世間でいう休み、というような休みは1日も無かったかも」
多忙な生活でも当時、テレビに登場する鈴木は疲れを感じさせることなく、いつも明るく、元気な印象だった。取材で話す鈴木も明るくて気さく。親しみやすさを感じる。
「当時の私には有名芸能人という実感は全くなく、芸能人というとブランド品を持って、高そうなもの食べてそうみたいなイメージがあると思いますけど基本そこにはあまり興味がなくて、移動の合間、時間がないのでよくおじさん達に混じって立ち食いそばも食べたりしていました。歴史が好きなので忙しくても仕事で海外に行って、その国の歴史や文化に触れることができるのはとても楽しかったし、『どうぶつ奇想天外!』では仙石先生と密林に爬虫(はちゅう)類探しに行くとか(笑)過酷なロケで体は疲れても嫌だなと思ったことはありませんでしたね」
来る仕事を拒まず一生懸命にこなしたということは真面目な性格か。
「真面目だと思います。私は仕事に対して一言も嫌だとか文句を言ったことがなかったので後輩には嫌な道を残したかも(笑)。先日かつての後輩に会った時、社長に意見すると『蘭々は仕事に文句言ったこと無かったぞ』って言われましたって」
◆安室奈美恵さんとの共演の思い出 「おとなしくて寡黙でシャイな印象」
安室奈美恵さんとユニット「シスターラビッツ」を結成して人気を得た。当時の思い出をたずねた。
「おとなしくて寡黙でシャイな印象があります。ポンキッキーズのメンバーの中で彼女が1番年下だったからかもしれません。ダンスがとてもうまいので一緒に踊るのに、このままじゃいけないと私もダンススタジオに通い始めました」
99年にニューヨークに留学。帰国後は舞台の仕事が多くなった。何か理由があるのか。
「帰国してまもなく宮本亜門さんの舞台のオーディションを受けた時から何だか舞台の流れが始まったんです」
鈴木蘭々、来る仕事を拒まなかった35年の芸能生活 人気絶頂時も平然と立ち食いそば
7/20(水) 9:30 ENCOUNT
https://news.yahoo.co.jp/articles/4b0f03bcc9ecdc8d566e72f5878256dd5ee04b31
芸能生活を振り返る鈴木蘭々【写真:(C)WOORELL】
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20220720-00331716-encount-000-10-view.jpg
2: なまえないよぉ~ 2022/07/21(木) 05:42:08.59
「なんか最近振り返って思うんですよね。全部自分の意思で、自分で選択して、自分で運命を作って来たように思う半面、実は最初からある程度決まっていた大きな運命の流れにただ流されていただけじゃないかって」
流されていると言うが、誰もができることではない経験をしている。舞台では「主演級を演じることができる代打女優」という異名もある実力派。
「表現する仕事全般が好きなんです。演技でも歌でも商品作りであっても自分の中から生まれてくるものを表現したり、形にすることが大好きです。いろんなアイディアを想像しているときが一番楽しい」
歌手が第一志望だったはずでは。
「そうなんですけど、正直なところ歌手としては数字で良い結果を残せなかったので、当時は諦めざるを得ませんでした。続けられなくなったことにがっかりはしましたけど、でもひどく落ち込むようなことはありませんでした。何と言うんでしょうかね、私は昔から、感情の起伏があんまりないっていうか、表面的には喜んでいるんだけど実はそこまでうれしく思っているわけではない。涙を流しているけど、その実そんなに悲しんではいない。怒っているけどもう1人の自分は全然怒ってない、みたいなところがあって」
なぜ感情がフラットなのか。
ずーっとずーっと奥というか遠いところには、ただ生きているだけでうれしくてしょうがない自分みたいなのが存在している感じです。
他にもいるけど大まかに言うとこんな感じ。ちなみにただ生きているだけでうれしい自分みたいなのは、実は近年発見して、こんな自分もいたんだなぁと思っています。
若い頃は何事もふーん、ていう自分自身を傍観するほうが勝っていたので、何を考えているか分からないと言われたり、不思議ちゃんと言われたこともありましたけど、年齢を重ねるにつれ自分の中にある感覚的で複雑な部分をだいぶ言葉で伝えられるようになってきたので、ようやく人間ぽいコミュニケーションが取れるようになってきたんじゃないかと思います(笑)」
不思議ちゃんと呼ばれた背景を明かす様子に素直で正直な人間性を感じる。また舞台の話に戻ると自身が生きる上で有益だという。
◆舞台が良くない性格を矯正することに役立った
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
小室哲哉みたい
俺は矢口に見えた
尼神の渚みたい
「いま舞台で頑張ってます」
干されたと言うより次の若手が出てきたんじゃないの
歌上手いから本格的にそっちにスイッチして
そのまま進めばよかったのに
篠原ともえが出てきたからじゃね?
みんな舞台なんかやりたくないのに、それしか仕事がないんだろ?w
金以上のものがあるからなあ
アーティストのライブや漫才師の劇場みたいに
客の反応がダイレクトに響くからやみつきになる
あの歓声や拍手は脳汁止まらなくなるんよ
安室奈美恵に踏み台にされた
イメージしかない
いくらうさぎをイメージしたからといって蘭々は「グレー」だったんだよな
安室はピンクでこの差について年頃の女の子が考えないわけないよな
髪をショートにした
そういう意味では一番おいしいポジションだったのに
素行が怪しくなって一気に引き上げられた
CD爆売れ時代とはいえセルフプロデュース要素のないアイドルはキツかったのかな
ってなんだったんだよ結局
俺もなぜか
売り方は同じ様なものだったから、歌で1ヤマ当てて女優なんだろうけど、難しかっただろう
舞台やれてるなら良いと思う
篠原みたいにぶっ飛ぶか、森口博子とかみたく普段と歌でキャラ違うけどイイな!
みたいなインパクトなかった
せっかく上手いのに普段のキャラのまま筒美京平でヘンに着飾った感出て間口狭めてた
思惑ありきに思えてあてにならん
kiss好きだった
もっと人気、金、ちやほやされたい。と思ったときから転落が始まるんです。
自然に人気が下降すればそれがあなたのキャパシティです。芸能界に居場所を作るのではなく
今のあなたが居場所なのです。
毎週ビデオ取ってたけど
全く記憶にない
海外留学して戻ってきたらもう席がなかった
ここまでタイトルから滑ってる曲は他にない
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1658349711/
コメントを残す